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名古屋高等裁判所 昭和62年(う)294号 判決 1987年11月26日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中西英雄が作成した控訴趣意書(第一回公判期日で弁護人は、控訴理由としては事実誤認の主張をなすにとどめる旨釈明。)に、これに対する答弁は、検察官長谷川三千男が作成した答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用するが、控訴趣意の要旨は、要するに、被告人が原判示の津島市消防団の分団長である選挙人七名に渡した金員は、昭和六二年四月二六日施行の津島市長選挙(以下「本件市長選挙」という。)の立候補者A(以下「A候補」という。)の政治団体である「愛と希望の二一世紀津島をつくる市民の会」(以下「市民の会」という。)の政治活動に当たり各分団の分団員が種々の労務提供等をしてくれたことに対する実費弁償の趣旨で渡したものであり、更に、原判示第二のB(以下「B」という。)に渡した金員は、右の点に加えて、A候補宅の付近で発生した火事に対する消火活動とその後の夜警活動について同人を慰労する趣旨で渡したものであり、いずれも、A候補に当選を得させる目的で同候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等という趣旨で供与又は供与の申込みをしたものではなく、また、被告人は、A候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等とする趣旨で金員を原判示第一の各選挙人に供与又は供与の申込をする旨、原審相被告人C(以下「C」という。)と共謀したこともないのであつて、いずれも信用性に欠ける被告人やCや以上の選挙人らの捜査官に対する各供述調書に依拠して、被告人が原判示の各犯行を犯したことを認めた原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実の取調べの結果をも参酌して検討するに、原判示事実は、すべて、原審で取り調べられた関係各証拠により優に肯認することができ、更に、原判決が「争点に対する判断」として認定説示しているところも誠に正当であり、<証拠>のうち、右認定に反する部分は信用できず、他に右認定を動かすに足りる証拠は原審で取り調べられた関係各証拠中に見当たらず、当審における事実の取調べの結果によつても、右認定は左右されないから、原判決には、所論のような事実誤認はない。所論にかんがみ、以下に主要な点について説明を付加する。

一所論は、被告人は、実際にA候補が本件市長選挙で当選したという事実等によつても裏付けられるとおり、票読みをした結果、A候補が最終的には勝てると原判示の日時には確信していたものであり、他方、津島市消防団の各分団は、各分団の名においてA候補を推薦し、各分団長及び各分団員も、市民の会に加入して同会の政治活動のために労務提供等をし、もつて、A候補を支持していることが明らかであつたから、被告人が右各分団長のうち、原判示の選挙人七名に買収行為をする必要は全くなく、更に、被告人が右各分団長に金員を渡したのは投票日間際のことであり、かかる時期にA候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等とする趣旨で金員を右各分団長に供与又は供与の申込みをしても、実効性がなく、したがつて被告人がかかる供与又は供与の申込みをしたはずはない、という。

しかしながら、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、①A候補は、昭和五四年及び昭和五八年に行われる予定であつた津島市長選挙の際には、いずれも、対立候補がなく無投票当選を果たしていたところ、昭和五八年及び昭和六一年に行われた衆議院議員選挙の際、これに立候補する動きを示したため、地元選出の衆議院議員の支持勢力からの反発を買つていたこと、②A候補は、右各衆議院議員選挙に立候補することを断念し、昭和六二年四月二六日施行予定の本件市長選挙に立候補する腹を決めたが、今度は、地元選出の衆議院議員の支持勢力がA候補に対抗して、対立候補を出す動きを示すに至つたこと、③この対立候補の名は、昭和六一年暮れころから取りざたされるようになつたが、A候補の反対陣営においては、昭和六二年二月ころ、長年津島市議会議員を務めてきた女性議員を対立候補として正式に推すことにし、早速、後援会の会員を募集するなど、本件市長選挙に向けて実質的な選挙運動を開始したこと、④A候補の陣営では、同年三月初旬ころ、被告人を含めた有力メンバーが会合を持ち、今後の選挙運動の進め方について協議した結果、従前からあるA候補の後援会である「いのちとくらしを守る市民の会」の名称を「愛と希望の二一世紀津島をつくる市民の会」(「市民の会」)に変更するなどしたうえ、この市民の会を母体に実質的な選挙運動を開始することにしたこと、⑤そのとき予定されていた市民の会の活動内容は、各種団体や個人に市民の会への加入を呼び掛けることを通じてA候補に対する支持を拡大することとし、そのためのポスターの作成、配布をするほか、懇談会を開いてA候補に対する支持を求めること等であつたこと、⑥津島市消防団は、A候補がこれまでに津島市長として、消防吏員出身のCを津島市消防長に任命したり、消防関係について理解のある施策を取つたりしたことなどがあつたため、A候補の陣営からの求めに応じて、既に昭和六一年末ころ、各分団の正副分団長らが集まつた会合において、組織としてA候補を一応支持する態度を決定していたこと、⑦市民の会が本件市長選挙に向けて実質的な選挙運動を開始してから、各分団は、A候補に対する推薦状の提出を求められたり、市民の会が行うビラ折り、ポスターはがし等の作業のために人数を出すことを求められたりしたが、これに対する対応は、推薦状を出さずじまいに終わつたり、正副分団長の一件で推薦状を出しておくだけにとどめたり、市民の会に出した人員が分団長一人の一回だけであつたりなど、必ずしも全分団を通じて一様ではなかつたこと、⑧被告人は、当初、A候補は現職でもあるから、六対四で有利であろうと考えていたが、本件市長選挙の告示(昭和六二年四月一九日)後においては、対立候補が地元選出の衆議院議員の支持勢力を背景に積極的な選挙運動を展開したことに加え、女性候補ということで婦人有権者を中心に支持層を拡大していたため、A候補が五・五対四・五でわずかに有利との情報を得ていたこと、⑨他方、被告人は、市民の会の加入者に電話連絡をするなどして、A候補支持の意思確認をしたところ、市民の会の名簿登載者二万名に対し、支持をしてくれる見込のある者が一万五〇〇〇人位であり、当選ラインの一万八〇〇〇票(有権者数四万一〇〇〇人、投票率八五パーセントとして、その過半数)には、三〇〇〇票位不足すると計算したこと、⑩また、被告人は、昭和六二年四月二四日ころには地元選出の衆議院議員が対立候補応援のために津島市にやつて来るとの情報を得、危機感を深めていただけでなく、同月二二日に行われたA候補の個人演説会への人の集まりが悪いと感じたことの各事実が認められるところ、この事実関係に照らせば、被告人は、A候補には過去二回無投票当選を果たしたという実績があるにもかかわらず、決して、本件市長選挙におけるA候補をめぐる情勢について楽観視しておらず、むしろ、投票日が近づくにつれて危機感を深め、何とか支持票の上乗せをしたいと考えていたものであつて、それだからこそ、被告人は、この際、市民の会に対する協力の低調さ等から今一つA候補支持の態度が徹底していない津島市消防団の関連票を完全に取り込むことにすれば、消防団の組織がしつかりしているだけに、A候補にとつて有力な支持票になると判断し、正に、あまり人の集まりがよくなかつた同月二二日のA候補の個人演説会が行われた当夜から翌二三日にかけて、各分団長がA候補のために自ら投票し、更には家族や分団員に働きかけて投票取りまとめ等を行うことを期待し、その報酬とする趣旨で各分団長のうち、原判示の選挙人七名に対し金員の供与又は供与の申込みをし、もつて、買収行為に及んだことが明らかである。

二所論は、被告人が津島市消防団の各分団長に渡した五万円は、市民の会の預金口座から引き出した金員をもつて充てられており、その五万円という金額も、各分団の分団員約三五人という人数でならせば、分団員一人当たり一四〇〇円余りで、ちよつとした食事代程度に過ぎず、決して不合理、不相応な額ではないから、実費弁償の趣旨であることが明らかである、という。

確かに、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、被告人が各分団長に渡すために八袋の封筒に各五万円ずつ入れた金員は、全部が全部そうであるか否かは別として、被告人が市民の会の預金口座から引き出したものをもつて充てられたことは事実であるが、もともと、市民の会は、本件市長選挙に向けてA候補を応援し、実質的な選挙運動をするために組織されたものであり、本件市長選挙が告示されれば、会長を除いて、出納責任者である被告人らの役員はそのままA候補の選挙対策事務所の役員になることが予定されていたのであつて、被告人は、出納責任者として、選挙対策事務所の選挙運動費用について、市民の会の金をそのまま立替払いの形で流用して支払つていたことが認められるのである。したがつて、被告人が各分団長に渡した金員の中に市民の会の預金口座から引き出されたものが含まれていたからといつて、それが直ちに各分団長に対する実費弁償の趣旨に結び付くということにはならないのみならず、市民の会の地元対策委員長の地位にあつたDが原審証人として明確に供述しているように、A候補の後援会という市民の会の性格上、市民の会に対する手伝いは、基本的に奉仕という形をとり、市民の会として対価を支払う予定は一切なかつたし、手伝いをした側も、別段、対価の支払いを期待するということはなかつたのであり、現に、各分団長の多くが、被告人から金員の供与を受けるのを一度は辞退していることが明らかである。そして、被告人が原判示の各分団長に供与し又は供与の申込みをした金員の額の多寡は、この際、右金員がどのような趣旨に出たものかを考察するうえで直接の関係がないというべきである。

三所論は、被告人は、津島市消防団の分団員から沸き上がつた不満の声にこたえる形で、各分団長に対し実費弁償することにしたものであるから、被告人としては、一々、各分団長に対し渡した金員の趣旨を説明するまでもなく、各分団長が当然実費弁償の趣旨と分かつているものと考えてもおかしくはないし、仮に、その趣旨が各分団長に対し、必ずしも正しく伝わらなかつたとしても、それは、被告人の責任ではなく、また、金員を渡した際に領収書等を徴収しなかつたとしても、被告人としては、後日領収書等が必要となれば、その時点で徴収すれば足りると考えていたに過ぎない、という。

しかしながら、原審証人Bは、市民の会の手伝いをした分団員の中から「飲ませてくれない。」という不満が出たことがある旨供述するが、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、そのような不満が必ずしも一般的なものではなかつたことが認められるのみならず、前記認定のとおり、市民の会の手伝いは、基本的に奉仕という形をとり、市民の会として対価を支払う予定は一切なかつたし、手伝いをした側も、別段、対価の支払いを期待するということはなかつたのであるから、仮に、右のような不満を抱いた者があつたとしても、必ずしも、実費弁償とか対価の支払いまでも期待してはいなかつたものと考えられる。そして、被告人が原判示の各分団長に供与し又は供与の申込みをした金員が正に、市民の会の手伝いをしたことに対する実費弁償でなかつたからこそ、現金供与又は供与申込みの際、実費の弁償であることを何ら説明せず、それ故、前記認定のとおり、右各分団長の多くが、被告人から金員の供与を受けるのを一度は辞退しているのであり、更に、金員を受け取つた後も、分団長の中には、これを自分の旅行費用とか、A候補の当選祝いの酒代等に使うなど、被告人から交付された金員がおよそ分団員に還元される余地がなかつた例もあつたことが明らかであり、しかも、これらの諸点は、決して、右各分団長において被告人から供与され又は供与の申込みをされた趣旨を勝手に誤解した結果ということはできない。これに加えて、原判決も指摘するとおり、被告人が金員を各分団長に渡すに際して領収書等を徴収するよう指示しなかつたことや現金を渡した後、Cを介して口止め工作をしたことなども、右金員が実費弁償の趣旨に出たものでないことを裏付ける一つの根拠になるものと考えられる。

四所論は、Bは、本件市長選挙と同日施行の津島市会議員選挙の候補者Eから金員の供与を受けたときは、投票及び投票取りまとめのための買収資金と判断して受け取らなかつたのに、被告人から受け取つた金員については、津島市消防団西分団の副分団長にまで、これを受け取つた旨話していることに照らせば、これがA候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等の趣旨に出たものでないことは明らかである、という。

確かに、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、Bが分団長をしている西分団長が昭和六二年四月一七日に池須町で起きた大火に出動したことは事実であるが、この火事がその居宅の付近で発生したというだけのA候補ないし被告人が、しかも、西分団のBに対してのみ、消火活動とその後の夜警活動について慰労する趣旨で金員を交付するというのは、およそ不自然であり得ない事柄というべきである。また、当審における事実の取調べの結果によれば、Bは、確かに、本件市長選挙と同日施行の津島市会議員選挙の候補者Eから「西分団の団員の方に一度会食をやつてほしい。」といわれて供与された現金一〇万円をいつたん受け取つた後、二日後に副分団長ともども「このようなものをいただくと、違反になるから。」といつて返したことは明らかであるが、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、Bが被告人から原判示第二の五万円を受け取つた際も、被告人から「コーヒーを飲んでくれ。」などといわれ、右Eから一〇万円の供与を受けたときの状況と大同小異であり、加えて、Bは、被告人から右五万円をいつたん受け取つたものの、「悪い金だ。返さなくてはいけない。」という気持が心の中にあつて、被告人を追い掛けたというのであつて、Bとしても、右五万円がA候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等の趣旨に出たものであることを十分認識していたことが明らかである。結局、Bとしては、長年の付合いがあり親近感も感じている被告人から右五万円を受け取つたため、右Eから一〇万円を受け取つたときとは違つて、これを返すタイミングを失し、副分団長にも右五万円を受け取つたことを話したに過ぎないものと考えられる。

五所論は、被告人が津島市消防団の神島田分団長に金員を交付しなかつたのは、同分団の地区が対立候補の陣営であつたことから、分団長に対する費用弁償の趣旨で金員を交付しても、買収の趣旨と誤解されると考えたためであり、仮に、被告人がA候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等の趣旨で金員を渡そうとしたのであれば、対立候補の陣営にある同分団の分団長に対し交付する金員を含め八袋の金員を準備するはずがない、という。

しかしながら、仮に、対立候補の陣営にある神島田分団の分団長に対し金員を交付すると、A候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等の趣旨に出た金員と誤解されるというのであれば、そのような誤解されるという事情は、被告人から原判示の各金員を渡そうとしたのが極めて投票日に近接した時期であつただけに、A候補の陣営にある他の各分団の分団長にとつても、全く同じであつたはずであるというべきであり、現に、原判示の各分団長の多くが、被告人から金員の供与を受けるのを前述のとおり一度は辞退しているなど、素直には、市民の会の手伝いをしたことに対する実費弁償とはとらえていないのである。また、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、被告人は、Cに対し、「神島田は敵の陣営なのでやばいからやめた方がいいですね。」などと確認を求めたところ、Cの確認を得られたため、対立候補の陣営にある神島田分団の分団長には金員を渡さなかつたことが明らかであるから、被告人が、Cに確認するまでは一応、同分団長に供与する分も含めて金員の準備をしたとしても、何らおかしなことではない。

六所論は、Cは、事前に被告人から津島市消防団の各分団長に金員を渡すことを知らされておらず、金員授与の経緯等も全く知らなかつたから、Cにおいて、勝手に、A候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等の趣旨の金員と誤解したとしても、これがために、被告人がCとの間で原判示第一の公職選挙法違反の各犯行を行うについての共謀を遂げたことにはならない、という。

しかしながら、被告人が原判示の各分団長に供与し又は供与の申込みをした金員が市民の会の手伝いをしたことに対する実費弁償の趣旨に出たものでないことは、前記に説示してきたとおりなのであるから、Cにおいて、実費弁償の趣旨の金員を勝手に、A候補のために投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をすることの報酬等の趣旨の金員と誤解したとの点は、そもそも前提を欠く立論といわざるを得ない。結局、原判決が正当に説示するとおり、被告人とCとの間で原判示第一の公職選挙法違反の各犯行を行うについての共謀を遂げるに至つていたことは明らかである。

七原判決が原判示の各事実の認定の用に供している被告人、C及び原判示の各受供与者ないし供与の被申込者の検察官に対する各供述調書は、警察官によつて加えられた暴行、脅迫等によつて一方的に供述させられた虚偽の内容をそのまま蒸し返しただけのものであつて、いずれも信用できない、という。

しかしながら、記録を調査し、当審における事実の取調べの結果によつても、検察官の被告人、C及び原判示の各受供与者ないし供与の被申込者に対する取調べに違法、不当な点があつたものとはおよそ認められず、被告人らは、いずれも、前記に認定してきた本人でなければ分からないような事実関係等について、自ら進んで検察官に対し供述したものであることが明らかであり、また、被告人らの供述相互の間にも不自然な矛盾対立はなく、本件市長選挙をめぐる客観的な状況とも整合性を有するから、その供述内容は、いずれも信用できるものといわなければならない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山本卓 裁判官油田弘佑 裁判官向井千杉)

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